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民俗学は無限大! 第7章「令和の時代に、妖怪と出合う!?」

夏の日、川辺で涼んでいた河童

みなさんは河童を見たことがあるだろうか?

筆者は、ある。7、8歳の頃だったと思う。学校の帰り道、小さな橋を渡っていてふと見下ろすと、川べりに河童がいた。その日はとても暑く、河童は頭の皿に川の水をピチャピチャとかけて涼んでいた。筆者はその光景をすんなりと受け入れ、「この暑さやけん、皿も乾くよね」と、その場を後にした。

この話をすると大抵、「ハイ、ハイ」と相手にしてくれないか、哀れみの目を向けてくる。だがしかし、河童はいた。というのも、当時筆者が暮らしていた町には河童伝説が残っており、あちこちに河童の石像やオブジェ、壁画があり、身近な存在であった。老舗菓子店には河童の手のミイラなるものもあり、筆者も見せてもらった記憶がある。そんなわけで、「河童=妖怪」と知ったのは、もうすっかり大人になってからだ。

いや。あまり大きな声では言えないが、河童は実在すると今でも密かに思っている。

そもそも妖怪とはなんぞや?

さて、今回の「民俗学は無限大」のテーマは、妖怪である。日本民俗学の創始者、柳田國男が文化として捉え、研究したことで知られる、民俗学のど真ん中の「妖怪」である。

まずは、妖怪とはいかなるものなのか、お話しよう。辞書をひいてみると、「人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの」とある。つまり、化学的、合理的に説明がつかない現象や存在のことである。

例えば、夜中に山中で大木を切り倒す音がする。奇妙に思い音の方向へ行ってみるが、木を切った痕跡は一切ない。そこで人々は自分たちのもつ知識に照らし、「あれは天狗の仕業に違いない」となる。すると、「わしは見た。赤ら顔じゃった」「暗闇の中で鼻をつつまれた」など経験談が次々と持ち上がり、天狗の姿形が形成されていく。

とはいえ、この時点ではまだ言語上での存在である。絵として表現されるのは、絵巻や御伽草子が登場する中世になってから。室町時代の『百鬼夜行絵巻』には、赤鬼や青鬼、台所用品など日常の道具が妖怪と化した「付喪神(つくもがみ)」などが、ユーモラスな姿で描かれている。

江戸時代の一大妖怪ブーム

江戸時代になると、江戸を中心に一大妖怪ブームが巻き起こる。その火付け役といわれるのが、絵師・鳥山石燕が描いた『画図百鬼夜行』だ。これは妖怪図鑑ともいうべき画集で、妖怪をビジュアル化したことで、妖怪は浮世絵や芝居、落語の題材としても使われるようになる。

参加者が順に怖い話を披露していく怪談会も大流行したという。江戸末期になると、「化け物双六」や「お化けかるた」などをきっかけに、妖怪は愛されキャラクターと化し、子どもたちまでもが楽しめる娯楽となる。

妖怪と幽霊は違うのか?とお思いの方もいらっしゃるかもしれない。いずれも『古事記』や『日本書紀』に描かれるほど長い歴史をもつ“化け物”なのだが、基本的には別物である。妖怪は「奇怪現象や非日常的な存在」で、幽霊は「死んだ人の霊」「成仏できなかった魂の姿」だ。さらに、出没する場所などさまざまに違いがあるが、一番の見分け方は足の有無。もちろん、足がないのが幽霊だ。

古代日本の自然信仰が生んだ妖怪

化学的、合理的に説明がつかない現象や存在を人々は妖怪の仕業と考えたと述べたが、この背景には日本古来の自然信仰(アニミズム)がある。日本人は、山や海、川、木、岩、太陽、月といったものから、火事や落雷、噴火といった現象にまで不思議な力が宿るとして精霊崇拝してきた。「森羅万象万物に神宿る」である。

民俗学者の柳田國男は、妖怪を「神の零落した姿」と定義したが、“零落した”か否かは別としても、人々は妖怪を神として捉えてきた。それは、災厄への慰めであり、生きていくうえでの戒めの存在だったのであろう。例えば、先出の「付喪神」。古い道具に宿るとされる精霊で、人間が古い道具を捨てようとすると現れる。つまり、物を大切にする心構えを説いているといえる。そう、森羅万象万物に神を感じる、日本人のアニミズムこそが、妖怪を生みだしたのだ。

しかもなんと種類の多いことか。河童に天狗、小豆洗い、ぬらりひょん、一反木綿、座敷わらし、海坊主…。100、200、いや、もしかすると500くらいはいるのではないだろうか。しかも一匹一匹(妖怪の数え方は“匹”らしい)にちゃんと名前があり、ビジュアル化もされている。いやはや、昔の日本人の発想力の豊かさには驚いてしまう。

妖怪を感じる町、岩手県遠野市

多くの妖怪には出身地がある。筆者の住む福岡県では、夜道で人の行く手を阻む「ぬりかべ」が有名だ。そんなご当地妖怪を求めて旅をするというのもいいのだが、この時代に妖怪にお目にかかるのは至難の業であろう。そこで現代でも妖怪が感じられる町をご紹介したいと思う。柳田國男の『遠野物語』でも知られる、岩手県遠野市である。険しい山々が取り囲む、隔絶された地ゆえに古くからの習慣や信仰が守られ、言い伝えや昔話も数多い「民話の里」だ。

まずは、遠野地方に伝わる昔話を紹介する「とおの物語の館」へ。映像や影絵などエンターテイメント性たっぷりの展示内容で、通り過ぎると子ども(座敷わらし)の笑い声が聞こえたり、羽ばたく音とともに目の前を天狗の影が横切ったりと、想像力をかきたてる演出もいい。語り部が情緒たっぷりに語る昔話も楽しみたい。表現力たっぷりで物語の世界に引き込まれる。

画像提供:(一社)遠野市観光協会

時を超え、遠野に暮らす河童といざ!

妖怪センサーを起動させたら、次に向かいたいのは、常堅寺の裏手にある「カッパ淵」だ。遠野には河童伝説があちこちに残されているのだが、カッパ淵もその一つ。河童が多く住んでいたと伝わる小さな川で、周囲はうっそうとした茂みに覆われ雰囲気抜群である。観光協会が発行する「カッパ捕獲許可証」を持っていれば、キュウリを餌にカッパ釣りも可能だ。ちなみに、常堅寺を守る狛犬は頭の上に水が貯められるようになっている、別名「カッパ狛犬」。寺が火災に見舞われた際、河童が頭の皿から水を噴き出し消化の手伝いをしたという言い伝えがあるそうだ。

他にも茅葺き屋根の曲がり家が点在する昔ながらの里山と出合える「遠野ふるさと村」、遠野地方の農家の暮らしを再現した「伝承園」など、見どころは多い。のんびりと遠野をめぐり、日本人のDNAに組み込まれた“妖怪を感じる”豊かな感覚を取り戻したい

画像提供:(一社)遠野市観光協会

遠野市観光協会 https://tonojikan.jp/