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民俗学は無限大!第10章 「日本の味、かつお節を知る」

かつお節生産量日本一の町、鹿児島県枕崎市へ

その町に行くときまってお腹がすいてくる。鹿児島県の薩摩半島に位置する港町、枕崎市だ。その理由は、いたるところに漂うダシのような香りのせいである。出どころは、町に40社以上が点在するかつお節工場。カツオをゆでる工程でおいしそうな匂いを発しているのだ。

写真協力:鹿児島県南薩地域振興局

ということで、「民俗学は無限大」10回目のテーマは、日本伝統の調味料である「かつお節」。生産量日本一の町、枕崎で出合った衝撃の製造工程やその歴史などをご紹介したい。

私は手軽な粉末ダシ派よ——そんなあなたにこそ知っていただきたい魅惑のかつお節の世界。その深みにハマるべく、枕崎をはじめ、静岡県焼津など名産地を訪ねてみるのもおすすめだ。

「荒節」と「枯節」とかつお節の最高峰、「本枯節」

江戸時代、カツオ漁業でも大いに栄えた枕崎にかつお節の製法が土佐から伝わって350年以上。『諸国鰹節番附表』(1822年)には大関や前頭に薩摩の名が連なるほど、江戸後期には質の高いかつお節を生産していたようだ。

写真協力:鹿児島県南薩地域振興局

さて、かつお節の歴史は深いので後でじっくり述べることにして、製造工程をみていきたい。ご紹介するのは、かつお節のなかでも上質な「枯節」だ。

かつお節は大きく「荒節」と「枯節」にわけられ、その違いはカビ付けを行うか否か。カビ付けをしたものが「枯節」で、アクや濁りのない澄んだダシがとれる。さらにタンパク質を分解することで旨みが増し、独特の芳香も加わる。一般的に2回以上カビ付けを行うと「本枯節」となり、回数が多いほど高級品になる。

枕崎の製造工場で聞いたところによると、枯節にするのは脂肪分3%程度のカツオのみ。製造過程でさらに厳選するため、本枯節は全生産量の3%にも満たない希少品だという。

長い歳月と手間と微生物が生みだす麗しき「本枯節」

エリアによって多少の違いはあるようだが、枕崎で見た製造工程は以下の通り。

写真協力:鹿児島県南薩地域振興局

①生切り…カツオの頭と内臓をとり、3枚におろす ②相断…背側と腹側に切り分ける 

写真協力:鹿児島県南薩地域振興局

③籠立…カツオを籠に並べる ④煮熟…90~95℃で60~90分煮る ⑤骨抜き…骨を抜く。骨抜きでできた隙間や亀裂部にカツオのすり身を詰めて整形 

写真協力:鹿児島県南薩地域振興局

⑥直火焙乾…薪を燃やした空間で乾燥させる、かつお節の味を決める重要な工程。これを10~15回繰り返して「荒節」が完成 ⑦表面削り…表面に付着したタールや脂肪を削りとる ⑧カビ付け…状態のよい荒節のみ、湿度管理されたカビ室で保管。2~3週間で一番カビが付着 ⑨天日干し…天日干しで表面の雑菌を死滅させ、旨みをます ➉完成…⑧⑨を3~4回繰り返して「本枯節」ができあがる。

「本枯節」の完成までにざっと1年を要するのだが、驚くのは工程のほとんどが手作業だということ。カツオを捌くのも、骨を1本1本抜くのも、すべて人間の手で行われているのだ。長い時間と多くの手をかけて、そして微生物の力をかりてようやくできる「本枯節」。

それは美しいルビー色で、削るとほんのりピンク色の削り節になる。その香りたるや、おいしさたるや。ご飯の上にかけ、醤油をちょっとたらすだけで極上の一品に。

縄文人も食べていたカツオ、それは既に干物だった!?

かつお節ができるまでには多くの工程を要するうえ、かなり複雑。こんな高度な製造法がいつ生まれたのか?

まずはかつお節の元というべき、カツオ(マガツオ)の歴史から探ろう。

カツオは「貝塚」からその骨が大量に発見されており、縄文時代には既に食べられていた。しかしそれは関東~東北地方のみの話で、関西~九州の貝塚ではカツオの骨は見られないという。同じ暖海性回遊魚であるマグロやソウダガツオの骨は出土しているのに、だ。

諸説あるが、筆者は「西南日本ではカツオを干物にしていた」に一票を投じたい。生より干物のほうがその骨が残りにくいという事実に基づく説だが、かつてカツオは「堅魚(かたうお)」という文字を用いていたことを考えても頷ける。

「鰹」の文字を使うようになったのは江戸時代以降のことで、江戸時代の故実学者による『貞丈雑記』には「カツオは古くから生食せず、乾したるばかりを用いしなり、乾せば堅くなる故にカタウオを略してカツオと呼び、後に鰹の字を作り出したり」とある。古からカツオは干して食べていたのは事実であり、それが縄文時代から続くものだったとしてもなんら不思議はない。

「堅魚」からかつお節へ、1000年以上に及ぶ長き変遷

かつお節らしきものが登場する『古事記』(712年)を皮切りに、『日本書紀』、『万葉集』と続けざまに見られる「堅魚」の文字。それが、仮に干物(日干し)だったとしても現在のかつお節の姿には程遠い。煮熟や焙乾、カビ付けが必要である。

ということで、その変遷をみていこう。煮熟の手がかりは、日本最古の法典『大宝律令』(701年)、『養老律令』(718年)にある。

税や労役に関する定めのなかに、成人男性は鰒(アワビ)などと共に堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁を納めよ、と記されている。この「煮堅魚」が、煮てから乾燥させた「煮熟」を行なったものと考えられている。なお、「堅魚煎汁」はカツオの煮汁をさらに煮熟したエキスで、調味料として使われていたようだ。

かつお節の大きな転換期、土佐で生まれた「焙乾法」

江戸時代になると、かつお節の作り方を記載した本が散見できる。食べ物百科事典のような『本朝食鑑』(1697年)、『和漢三才図會』(1712年)、『日本山海名産図會』(1799年)がそれだ。

火を利用した乾燥法、「焙乾法」が取り入れられていたものの、この時点では藁を燃やす「火乾」スタイル。そのためカツオにはまだ多くの水分が残り、小刀で削れる柔らかさのかつお節だったようだ。

ナラやクヌギなどの薪を使い、現代のスタイルに近い、煙で燻す焙乾法(燻乾)が誕生したのは、江戸時代中期の土佐にて。カツオ漁師・角屋勘太郎が創始者だと伝えられている。これにより水分が多く除去できるようになり、長い輸送にも耐えられる堅くて上質な土佐節が誕生した。この製法は、勘太郎の故郷・紀州熊野に伝えられた程度で秘伝とされた。

しかし次第に各地に伝播し、鹿児島の枕崎(薩摩藩)にも上陸。やがて天下に名だたる優良な薩摩節が生まれるのである。

枯節になるための最後の工程、カビ付けの発祥については記録がないのだが、焙乾法と同じく土佐ではじまったというのが通説だ。

知ればなるほど納得!かつお節のトリビア

最後にかつお節のトリビアを二三。原料はカツオなのにダシに脂が一切浮かないのはなぜなのか?

もともと脂の少ないカツオを使うのもあるのだが、枯節にするべく付けるカビが脂肪を分解するためだ。とはいえ、脂肪分ゼロでは旨みがなく、上質な本枯節で3~5%程度だという。

結婚式の引き出物に利用されるかつお節。その理由は、かつお節は夫婦の象徴であるため。カツオの背側で作られたものを「雄節」、腹側を「雌節」と呼び、2本がぴったり合うことが由来だ。

また、「勝つ魚」「勝男武士」にかけ、あらゆる祝い事に欠かせない縁起物でもある。

いかがだろうか?長くも謎めいた歴史をもち、和食の原点ともいえるかつお節。カビ付けを行う枯節においては発酵食品でもある。

名産地を訪ね極上のかつお節を手に入れたら、削り器でシュッシュッと本物の味わいぜひ。

枕崎市観光協会

https://makutabi.jp/

焼津市観光協会

http://www.yaizu.gr.jp/