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一度は行くべき美術館(3)神田日勝記念美術館


「作品や作家には詳しくないけど、観るのは好き」という人も愉しんでほしい、

芸術の秋にピッタリの特集『一度は行くべき美術館』をご用意。

知ってるようで知らない、作家や作品、建物、展示方法…芸術への“興味の種”を探っていきます。


北海道 鹿追で描き続けた画家・神田日勝とは

「画家である、農民である」。これは、神田日勝という画家が語ったとされる言葉だ。最近では2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』の登場人物「天陽くん」のモチーフになったことで再注目。1970年に32歳の若さでこの世を去るまで農業と絵に情熱を注いだ日勝。北海道 鹿追町にある「神田日勝記念美術館」にお話を伺いながら、その画家人生に触れてみた。

農業と絵は両輪。どちらも欠けてはならないもの

1937年、東京都練馬生まれの神田日勝。戦時中の激しい空襲から逃れるため、7歳の時に一家で開拓農民として北海道へ渡ることになり、鹿追町に到着したのは1945年8月14日。終戦の前日だ。そんな状況下、同じく北海道へ来たものの農業の経験がなく諦めて東京に戻る人々もいたが、一家は鹿追町で暮らしていくことを決めた。

神田一家に用意された土地は農地とはいえないような荒れ地。「勉強より農業が好きだから」と中学卒業後に家業を継ぐことにした日勝。元々絵を描くのが好きで、中学では自ら美術部を創設したほど。そして、独学ながら本格的に描くようになったのは東京藝術大学に進学した兄・一明氏の影響が大きかったそうだ。18歳の時に帯広の公募展、平原社美術協会展に《痩馬》を出品し入賞。その後、札幌の全道美術協会展(全道展)に出品するなど、発表の場を広げていった。そして1961年、23歳の時に《ゴミ箱》が道知事賞を受賞。同じ全道展で兄も受賞し、兄弟ダブル受賞ということで一躍注目を浴びた。

農作業のため他の画家のように思うように旅行や留学ができず、上京したのは一回だけ。しかし鹿追町にいながら最新の美術の動向に敏感で、中央(東京)や世界の流れを逃すまいと常にアンテナを張っていた。当時の美術雑誌から話題の絵画の写真図版を切り抜いたり、ゴッホやセザンヌの絵はがきを集めたりした。また出身中学の美術教員の山本時市氏の自宅へ通って画集を見せてもらうなど熱心に情報を収集。1950~60年代は高度経済成長や公害、労働者の問題を描くリアリズムの流れがあり、そういった美術動向もしっかり取り入れていたそうだ。また、帯広の画家仲間と絵についての意見交換や、時には兄・一明氏と夜中まで芸術論をぶつけ合うこともあったとか。

農業と絵。日勝にとってはどちらも欠けてはならず、両輪と考えていた。晩年には仕事として絵の依頼が入ることもあり、絵を描くために農業ができずに苦しんでいたとも。「自分は農家失格だな」と奥様にもらすこともあったようだ。農業と絵、どちらに対しても真っ直ぐで真摯な人柄を想像した。

大きく変遷する画風と色彩

日勝の作品は、ベニヤ板とペインティングナイフという画材が特徴的だ。高い画材が買えなかったともいわれるが、「ペインティングナイフで描くときの手応え、刻み込んでいくような感覚が好きで、それと相性が良いのがベニヤ板だったのでは」と学芸員の杉本さん。

題材として、特に初期は生活に密着したものを選んで描く。なかでも馬の絵が多いのは、日勝にとって馬は家族同然だったから。作品《痩馬》のエピソードがある。農業においては素人だった父が騙されて、老馬を買わされたそうだ。開拓農家の厳しさが克明に描かれているという。日勝が描く馬は農耕馬だそうで、杉本さんに伺うと「馬が農機具や馬ソリを引くために胴体に付ける器具で擦れて、胴体の一部だけ毛が薄くなるんです。その部分もリアリズムを追求して描かれています」。北海道の大自然相手の農業は、経験がない都会からの入植者にとってかなり過酷だっただろうということも、馬の絵からは伝わってくる。

また、若くして亡くなったため画歴は短いながらも、画風が大きく変わっているのも印象的。初期は《馬》をはじめ、茶色を基調とする作品だったが、28歳頃の「画室」シリーズからは一気にカラフルに。この頃には生活が安定してきて様々な色の絵の具を使えるようになったからでは、ともいわれる。「色彩への興味を抑えきれなかった」と新たな挑戦が始まるのだ。初期から晩年までチャレンジし続けた変遷を、年代と共に辿ってみよう。

《ゴミ箱》

1961年、初期の代表作のひとつ。身近なものでありながら社会から忘れられ捨てられる、見向きもされないものに焦点を当て、単色で描かれている。杉本さんによると「当時の社会情勢を踏まえつつ、見向きもされないからこそ、ものの存在感を描き出そうとしている点が見てとれます。ちなみに奥様は『家にゴミ箱の絵があって驚いた。絵は花とか風景のようなキレイなものを描くものと思っていたから』と仰っていました」。

《画室B》

1966年の作品。「画室」シリーズはA~Eまで5点。この頃はアトリエを持っていなかったが、美術誌で見たアトリエの写真を参考にしたと考えられている。ポップアートの影響を受けつつ、5点とも少しずつ異なっている。「画家としての自分を模索していたのかもしれません。『こんな明るい絵もあるんだ』と日勝の絵のイメージが一新するような作品です」。(杉本さん)

《晴れた日の風景》

1968年、馬と人という従来からのモチーフながら画風が一変。当時ヨーロッパで流行していたアンフォルメル(抽象表現主義)の影響を感じる。絵具を叩きつけるように描いており、近くで見るとダイナミックな筆致がわかる。

この後、当時の社会情勢、矛盾や問題を捉えているような《ヘイと人》や最後の完成作品《室内風景》へと創作が続く。

《馬(絶筆・未完)》

1970年、アトリエに残されていた未完の作品。馬が半身だけ描かれており、杉本さん曰く「“原点回帰”と言われがちですが、解釈は難しいです」。画業初期の馬は黒一色だが、この作品の馬をよく見ると、黒の中に赤や青の毛並みが見え、初期とは全く異なる。「学んだことを生かして新しい段階に進もうとしていたのではないか。背景に何を描こうとしていたのかなど、余白が想像を与えてくれます」。

町民運動から生まれた神田日勝記念美術館

同館が建てられた経緯はとても珍しい。生前の日勝の仲間や地元の人たちによる長年の町民運動の結果、行政を動かして1993年に悲願の開館。現在、日勝の作品を135点所蔵。《馬(絶筆・未完)》を目当てに訪れる人が多いので、そういった代表的な作品は外さず展示しつつも、地元のリピーターも楽しめるように展覧会毎に展示を工夫しているそうだ。「日勝にはいろんな作品があります。単なる農民画家ではない、試行錯誤し続け生まれた作品の数々を見てほしいです」と杉本さん。

2021年11/26~2022年4/10には現在、画家として活動中の日勝の長女、神田絵里子氏との親子展を開催。ふたり合わせて大体30~40点程を展示するそうだ。超写実的な絵里子氏の作品と、日勝の作品との対比が楽しめるのはとても興味をそそられる。

日勝のことを語った奥様の言葉を教えていただいた。『あの人は水に浮かぶ一滴の油でした。一緒に流されるけれど絶対に混じり合わない』芯がある人だったのだろう。

画家であり、農民であり続けた日勝の人柄と、彼の絵の魅力の両方が伝わる言葉のように思った。

  • 施設名:神田日勝記念美術館
  • 住所:北海道河東郡鹿追町東町3-2
  • 開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30)
  • 休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日(土・日曜日が重なる場合は開館)、年末年始(12/30~1/5)
  • 入館料:一般530円、高校生320円、小中学生210円
  • 問い合わせ:0156-66-1555
  • URL:http://kandanissho.com/