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小説:恋ハナクトモ #2「命の匂い」

茫然としているうちに、またうとうととしていた。人の声が聞こえて、薄目を開けた。

 大きな背中の男が一人、ブツブツと何か呟いている。

「お前は誰だ。不法侵入か?! 」

そう詰め寄ってやろうかと思ったが、思うように体が動かない。声もうまく出せない。

(声も出ないって、どういう状況だよ? ったく、次から次に…。とはいえどうしよう、この状況…)

 オロオロと状況打破を考えていると、突然男が振り向き、寝ている俺を見下ろしてきた。

「交番とか公園とかに、勝手に置いてきたら、どうなるんだ?」

(…えっ?)

「知らねえ、知らねえ! 俺の子って証拠、どこにあんだよ、俺が面倒見る義理なんてないだろ? 捨てるしかないじゃん!」

男の顔は、俺だった。さっきまでの俺だ。そして俺は、赤ん坊になっている!

「あうあうあう~!」

(待て! 待てよ、お前、自分の子かもしれないんだぞ。そんな簡単に捨てるなんて…)

必死で抗議しているつもりが、うまく喋れない。

「ぶぶぶ…」

何度、声を振り絞ろうとしても、言葉にならない。襟首を掴んで殴ってやりたいのに、近づくことすらできず空を殴っているような無力感。俺の言葉がわかるやつは…いるはずなかった。 宇宙に1人取り残されたかのような孤独さ。35にもなって、大の男が情けない、泣けてきそうだ。

(いや、諦めるな! 今まで苦しいこととか、思い通りにならないことだって、たくさんあったじゃないか、諦めるな俺! 体育会系の意地を見せろ、叫べ! 叫ぶんだ!!)

「ぎゃあああああ…」

 その声でハッと目が覚めた。本物の赤ん坊の泣き声だった。二人とも目尻が濡れていた。

「ハハッ…。わかったよ、捨てたりしないよ。安心しろ、人間はみんな、孤独なんだ」

かすかに震える手で抱き上げた赤ん坊は、寝入る前より柔らかく、温かい気がした。

 しばらく体をさすったり揺すったり、変顔をしてみせても、赤ん坊は、一向に泣き止む気配がない。どうしよう…。ヒントのありそうなカゴの中を漁る。ミルクがあった。作り方のメモもある。助かった! 

まず湯を沸かして哺乳瓶を消毒した。いきなり面倒くさいと思ったけど、とりあえず指示通りにやった。次は70度くらいの湯を…

(は?70度?わかるか!とりあえず適当に冷まそう…)と、ポットに適当に水を足してみる。

時々、赤ん坊をあやしながら、丁寧に、けれどイライラと作っていく。今度は半量ずつお湯とミルクを入れて…とやっている間、赤ん坊はずっと泣いている。気になって、焦る…。世の母たちは、こんな思いを毎日しながら子育てしてるのかと思うと、(母じゃねえし!)と、泣けそうになる。

手の甲で熱すぎないか確認してから泣いている口に持っていく。赤ん坊は手で避ける。もう一度。また顔を背ける…。再度、手の甲で温度を確認し直しても、やはり吸いつかない。

「なんなんだよ、時間かかったんだぞ? お前も待ってただろ? 腹減ってんじゃないのかよ?」

 声を上げた赤ん坊と一緒に泣いてしまいたいような、途方にくれた気持ちになりかけた頃、かすかに飯が炊けたような匂いがすることに気がついた。一瞬、炊飯器の方を振り向いたものの、最近自炊はしていなかったと気づき、すぐまた赤ん坊をあやそうとして、ハッとした。

(…もしかして、ウンチ??) なぜか、ギクリとした。

(…ウンチじゃありませんように…)

 そう願いながら、恐る恐るオムツを開いてみると、混じり気のない黄土色の、なんとも柔らかそうなソレが見えた。手つきが自然、親指と人差し指で摘むようなスタイルになる。一旦オムツを元に戻し、手早く、新しいオムツとメモを探した。オムツ関係はカゴとは別に、小型のボストンにおしりふきやビニール袋、メモと使用済みオムツ入れなどがまとめられていた。

 手順とアイテムを確認し、息を殺し、意を決して、オムツを開いた。赤ん坊は必死にキックをしてくる。

(…あれ?思ったより、あんま臭くないかも…)

 やや酸っぱいような臭いながらも、我慢できないほどじゃない。拍子抜けしながらも、なんとか作業がすむと、やっと、ほっとした心持ちになった。片手で足首を持って、軽々と持ち上げられる小さな生き物がそこにいた。

 オムツを換え終わると、赤ん坊も安心したようにミルクをよく飲んだ。

(なんだ、やっぱり腹も空いてたんじゃないかお前…)

なんともいえない達成感のような、複雑な感情が湧いていた。

(一生懸命ミルクを飲んで、ウンチして、全力で伝えて。お前も懸命に生きてるんだな)

赤ん坊なりの、まっすぐな生命への執着のようなものを感じて、なんだか清々しい気持ちになっていた。

恋ハナクトモ #3「恐れるスルメ」へつづく