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ニッポンを知る。九州・ 熊本編 ~日々の暮らしを楽しむ山鹿灯籠~

10代で山鹿灯籠師の道へ 灯籠師:中村潤弥さん

和紙と糊だけで組み上げる全国的にも珍しい国指定伝統的工芸品、山鹿灯籠。現在8人いる灯籠師のほとんどが、50代~70代というなかにあって、異例の若さで灯籠師となったのが中村潤弥さんだ。

きっかけは中学の授業の一環として取り組んだ金灯籠作り。元々ものづくりに興味があったこともあり、10代で故・徳永正弘さんに弟子入りした。灯籠を作りたいという一心でまっすぐに突き進み、8年間の修行期間を経て、晴れて一人前の灯籠師として灯籠師組合に認定される。27歳の最年少灯籠師の誕生である。

それから5年、32歳になった中村さんの工房を訪ねた。

灯籠師・中村潤弥さん

師匠に教わったこと

佇まいのよい日本家屋の階段をトントンと上がった2階が中村さんの工房。

1階は、中村さんの奥様、京(みさと)さんが営む生活雑貨のお店「ヤマノテ」。山鹿灯籠をはじめ地元で作られたものを中心に、全国から選び抜いた手仕事の品々がセンス良く並んでいる。

工房に入ってまず驚くのは、その一糸乱れぬ…整理整頓ぶりだ。道具類は全て特注のケースにきちんと収められ、制作中のパーツの分類も完璧、本棚の本も水平垂直を守って整然と並んでいる。

「ものすご~く片付いているんですね…」思わず言葉を漏らすと

「師匠の工房もこんな感じでした。『ここにこれがある』というのがわかっていると作業が早い。片付けも仕事のうち」といわれていたので」

「もうひとつ、よく言われたのは『本物を見るように』ということ。陶芸でも絵画でもなんでもいい、その道でしっかり極めている人の作品を見るといいと聞かされたものです。自分の目で見ることで、やっぱり感じるものがあります。ジャンルは違っても芸術性の高さとか、なんでも勉強になりますね」

まずは自分が楽しむことから

「僕の実家は農家なんです。農業を継ぐ人は年々減っていますよね。仕事がきついとかマイナスのイメージが強いから。それは伝統工芸も同じで、あんまり楽しいイメージがないし、金銭的に大変そうとかいうふうに見られがちなんです。それは僕も含めて、その仕事に携わっている人たちの問題でもあると思うんです。だから、まずは僕自身がしっかり自立して、楽しくやっていくということが第一目標かなと思っています。そして、それを見た人が、楽しそうだなって、後に続いていくという結果に繋がるのがベストかなと考えています」

楽しくやれていますか?

「はい。楽しくやっているつもりだし、また、楽しくやらなきゃなと思っています。そのために、なるべく僕自身が作っていて楽しい題材を選ぶようにしています。宮造りや座敷造りだけでなく『ラピュタ』や『ONE PIECE(ワンピース)』など個人的に好きなものを作ったりして。それで若い人が興味を持ってくれたらいいなと思っています」と中村さんは笑顔で語る。

『天空の城ラピュタ ラピュタ城』
『ONE PIECE(ワンピース) ゴーイングメリー号』

”余談だが、筆者は5年前に中村さんが灯籠師になったばかりの頃に一度、インタビューさせてもらった経緯がある。当時の朴訥さや気負いのようなものは消え、今、目の前にいる中村さんは、ずいぶん落ち着いて穏やかな雰囲気をまとっていた。そして何より、なんだか楽しそうなのだ。”

変わること、変わらないこと

山鹿灯籠振興会の取り組みで誕生した、インテリアモビール「TouRou」やアロマディフューザー「かぐわし」など、山鹿灯籠の新しい魅力を発信する新商品の開発にも中村さんは積極的に取り組んでいる。

「新商品開発といっても、新しいものを生み出そうという発想ではない。僕ら灯籠師の収入を安定させるための仕事づくりが目的なんです」と中村さん。

インテリアモビール「TouRou」

「これまで、山鹿では営業・制作・販売・発送までを職人が個々にやってきました。それをプロデューサーやデザイナー、行政の力を借りながら、妻が運営する『ヤマノテ』で販売や発送を請け負い、各灯籠師には商品の部品を製造してもらうという分業制にすることで、僕ら職人が手を止めずにすむ。制作に専念できる仕組みづくりに取り組んでいます。来年や再来年という目先の目標を追うのではなく、それぞれ役割を分担し、土台をしっかりと構築する。健全な生態系を作ることで、将来的に産地が残っていけるんじゃないかと思っています。

山鹿灯籠を全く知らない人、地元・山鹿の人、僕ら世代の人たちが商品を手にとってくれるようになったのは今までにない動き。かなり手応えを感じています」

アロマディフューザー「かぐわし」

中村さんはこうした新しい取り組みの一方で、古式ゆかしい奉納灯籠の制作にも余念がない。今年請け負う奉納灯籠は5基。1基の完成までに約2か月かかる大仕事である。

「奉納灯籠は神事であると同時に、町や団体から依頼されるものなので、町の人たちが誇れる作品に仕上げなければ。それだけに恐れ多さというか、身が引き締まる思いは何年経っても変わりません」

「人吉石造機関」
「竈門神社」

5秒のために

「山鹿灯籠のここを見て欲しい」というところはありますか?

「いろんな見方があっていいと思いますが、僕は『ぱっと見で、カッコいいかどうかでしょ』と思っているので、そんなに細かいところまで見なくてもいい(笑)。一般的な人は、たぶん5秒しか見ない。だから、その5秒で勝負できる、存在感のある作品を作りたいですね。山鹿灯籠は小さな部品の集合体です。まずは、その5秒のために、一つひとつの小さな部品を当たり前に作っていくのが一番大事だし、一番難しいことだと思っています」

これからの挑戦は?

「特に決めてない、ですね。流行や興味ってその時々で変わっていくじゃないですか。僕の場合、その時おもしろいと思ったものを題材にすることが多いので、将来的にこれをやりたいというようなものはあまりないのかも。日々の暮らしの中でポンと興味を惹かれたものに対してリアクションしていく感覚ですね。そんなふうに子供や身近な人に楽しく仕事をしている姿を見せるのが一番いいのかなぁと思っています」

2歳の娘さんを膝に乗せながら、中村さんは笑顔で言葉を結んだ。

ヤマノテ https://yamaga-yamanote.com/

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